なぜ、【終戦記念日】なのか。【敗戦記念日】ではないのか?/毎年考える、8月15日・正午「黙祷」の前に…
今日は、【8月15日】。
全国戦没者追悼式の正午の「黙祷」に合わせて、自らも、黙祷をした。
65年間の「平和」に感謝。
これは、子供の頃からの「素朴な疑問」。
「(対日)戦勝記念日」が各国であるのに、日本では「終戦記念日」。
なぜ「敗戦記念日」ではないのか。
こんなこと言うと「自虐史観」とかで批判されそうだが、負けを認めていないから、未だに関係国から色々言われているのではないだろうか?
負けを「負け」と認める。
すなわち、「素直」になる。
確かに、いわゆる「ナショナリズム」(自虐史観だの、なんだの言っている人)の強い人達は、「素直じゃない」方々が多いように感じる。
弱腰になって、「謝り続ける」のとは、訳が違う。
しっかりと「けじめ」をつけて、主張すべきことは、主張のすべきである。
(私は、「北方領土」と「竹島」は、日本固有の領土だと考える)
「立ち位置」を、しっかりと定めないといけない。
今の日本には、それが欠けている。
かの大戦で亡くなった多くの人達のためにも、
しっかりとした「ひとづくり まちづくり くにづくり」が必要だ。
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